2011年7月9日土曜日

7月8日[研修6日目]

フィリピンで課題に直面したときは、「胸=心」「頭=知識」「手=技術」の3要素が必要なのだそうです。今日はその頭(知識)についてを学習しました。




最初に訪れたのはフォートサンチアゴという所です。ここはマニラの観光地で、ホセ・リサールという人物に大きく関わる場所です。彼はスペイン支配下のフィリピンを独立に向けて尽力したフィリピンの英雄であり、最終的には処刑をされてしまった人物です。ここはホセが幽閉されていた跡地であり、そこから彼が処刑されたリサール公園へと向けて、地面に足跡が描かれていました。彼が処刑される間際に書いた詩は『Mi Ultimo Adios(我が最後の別れ)と題し、日本語にも翻訳されていました。



ここは何かわかるでしょうか。ここは牢獄です。日本人がフィリピン支配をした際には、ここに人々を詰め込んで、水攻めにして多くの人々の命を奪ったという歴史があります。



次にマニラ大聖堂を訪れました。ここも歴史ある建造物で、中ではお祈りを行う人々がいました。第二次世界大戦など、戦争による破壊から修復を繰り返して現在の建物となっています。



次にサン・アグスティン教会を訪れました。ここはフィリピン最古の木造バロック様式教会として、世界遺産に登録されているところです。





観光の最後に訪れたのは、アメリカ人墓地です。ここは、今までの場所とは違い、観光でマニラを訪れた人々でもあまり立ち寄らない場所だそうです。この墓地が示しているのは、第二次世界大戦の様子と、その結果です。たくさんの地図には、フィリピンの島々を含めた各国の状況や戦争の流れが説明されており、無数に立ち並ぶ大きな石柱には、アメリカ軍として戦争で亡くなった人々の名前や出身が刻まれています。アメリカ支配下で、アメリカ軍として戦死したフィリピンの人々の名前も多くありました。敷地内に並ぶ墓標には、一人ひとり名前が刻まれています。


この観光でわかったことは、私たちは日本のことを知らないということです。戦争経験のない私たちの世代が、今後の未来を見据えたときに知っておくべき「頭(知識)」があるのでしょう。

今日の観光について:Yukiさんの話(ICANスタッフ)
日本人が海外で生活するときには、周りの人々は、日本人がどのような歴史をたどり、どのようなことをしてきたかを知っていることは当たり前だと思っている。フィリピンは今では反日感情は少ないが、「日本人は、昔、赤ちゃんを放り投げて、それを銃剣で突き刺すということやっていたと知っているか。」と聞かれたことがある。過去を知ることは現在のありがたみに繋がっていくと思う。

最後に実は、フィリピンにおける問題解決の3要素には、あと一つ必要なものがあります。
「胸=心」「頭=知識」「手=技術」の3要素と、これらを持ち合わせた人が「手を合わせること=人手」だそうです。この研修で、心や知識は身につけることができています。技術は、もしかしたら語学力かもしれませんし、積極性かもしれません。多くのことを身につけた生徒が、手を合わせたら、帰国後に何ができるのか、考えていきましょう。








観光後は、カビテというところに行きました。今日から2泊3日で、路上の子どもたちやパヤタスゴミ処理場の子どもたちと一緒に生活をしながら交流をしていきます。今日は顔合わせと、ご飯を一緒に食べ、グループごとに就寝です。
明日からは生徒たちの積極性が試されます。スキルアップのチャンスですね。

2011年7月8日金曜日

7月7日[研修5日目]

今日は研修前半の山場、パヤタスのゴミ処分場に見学に行きました。
後の生徒のコメントにもありますが、生まれてきてこれほどの「臭い」を経験したことはありませんでした。ゴミはもちろん、何かの焼ける臭い、排水、そこに加えて食べ物や雨、建材などの生活の臭いが全て混ざり、文章では伝えきれないくらいのものとなっていました。




パヤタスゴミ処分場の周りには、人々が住んでいます。ここは保育所や簡易病院などの機能を持った、「PICO(ピコ)」という協同組合の建物です。PICOは「PAYATAS INTEGRATED COOPERATION」の略語で、地域のニーズを総合的に運営する協同組合です。年間600Pの組合費を支払い、住民たちが運営しています。




グループに分かれて処分場の周りのお宅を訪問しました。当たり前ですが、どこにいても異臭が鼻をつきます。この地域には、5,000人くらいの人々が生活をしており、ほとんどの人がゴミ山で生計をたてています。写真のゴミ山の高さは50mほどあります。ここでは、優れたゴミ処理施設がないため、ゴミを分別せずにパヤタスに運んできます。2000年にゴミ山が崩落して数百人が亡くなる事態が起きて以降、一時閉鎖されていましたが、ゴミの行き場がないためまた再開しています。ちなみに山の上のショベルカーは、ゴミを集めるためではなく、崩れないように固める目的でケソン市が使用しているものです。




家庭訪問後は、それぞれの家の様子を紙に書いて発表しました。ここでわかったことは、ゴミはここに住む人々にとって"必要"であるということです。マニラの田舎では、安定した収入が得られないために、パヤタスに移り住む人がいます。ここでは、毎日ゴミの中から、安いけれどもお金になるものを得ることができるからだそうです。単純に、国が新しいゴミ処理施設を作り、ゴミ山をなくしただけでは、ここの5,000人は収入がゼロになってしまいます。一筋縄では行かない問題が、ここにありました。


昼食後は、近くのフェアトレードの作業場に行きました。ここではお母さんたちがぬいぐるみを作っています。活動の一環として、ゴミ山に頼らずに収入を得るための方策の一つです。生徒たちはお土産を買っていました。そのお金は、目の前の人々のためになります。




パヤタスを後にして、今回の研修を運営しているICANの事務所を訪問しました。ICANの活動理由や、今後の展望、海外で活動を行うために必要なことなどを話していただきました。パヤタスの後で、特に彼らは真剣に聞いていました。自分たちにできることを考えながら。


夕飯前にスーパーに寄りました。息抜きです。ドリアンや、バナナなどのフルーツが売られています。今回の研修では、多くの「差」を学べている気がします。


今日の感想:
Ken.Y:家が狭かった。なぜ日本の家はきれいで、マニラはそうでないのだろう。臭いがきつく、かなり我慢をしていた。パヤタスは気持ちが悪くなる場所だった。
Motoyasu:車から出た瞬間にすごい臭いがした。パヤタスでないと生計がたてられないという話は聞いていて悲しかった。田中さんからの「あなたならこのパヤタスをどうしたいか。」という問いは難しかった。
Masanari:臭いがきついが子どもたちは元気だった。ゴミ山がすごく大きく、これが解決できるのかと落ち込んだ。
Eito:日本のゴミより少し臭いくらいかと思っていたが、想像以上だった。子どもにとってこの場所は良くないと大人は知っているが、引っ越せないという問題がある。最先端のゴミ処理場は必要だが、ここで働く人にとってはどうなのか、難しいが、答えが出ないということと、考えないということは違うので、考えていきたい。
Ken.K:車の扉を開けた瞬間から、ハエも臭いもきつかった。解答を見つけることは難しいが、その糸口をどうにかして見つけていきたい。その後のICAN事務所では、臭いもないしハエもいないし、パヤタスとの違いを実感した。

今日のパヤタス訪問の目的について[ICAN田中さんの話]
問題はいろいろなことが絡み合っているということを知ってほしいと思います。それに対して、いろいろな角度からじっくりと考えてみてください。そこで出てくる葛藤が大切です。パヤタスでは自分との違いを感じたと思いますが、普段見れない光景や生活スタイルの中でも、前向きに変わろうと生きている人がいるということを忘れずにいてください。変わろうとして生きている人々の存在が、いつか事態を好転させていくと信じています。私たちの日常でも悩みや問題があると思いますので、考えてみてください。

2011年7月7日木曜日

7月6日[研修4日目]

今日は昨日までの学校訪問とは違い、より現地の生活に近い場所へと赴きました。
最初に訪れたのはブルメントリットという場所です。ここはいわゆる「写真を撮ってはいけない場所」で、線路沿いで生活する子どもたちや、市場を散策しました。線路沿いには生活排水のながれる川があり、においがとてもきついです。でも子どもたちは、暑い日にはその川に入るのだそうです。
また、空腹や悲しみを紛らわせるためにシンナーを吸い、意識がもうろうとして多くの子どもが列車にはねられて命を落としています。私たちが歩いていたときにも列車は通り、周りの人々が「そっち側は危ないから、こっちへ来い」と言っていました。周りの市場も、日本人にとっては非常に危険な場所。何も持ち歩かずに散策をしました。


この写真は線路沿いで暮らす人々との交流の様子です。互いに、「なぜ自分はいまブルメントリットにいるのか」を説明する絵を描いています。多くの人々が描いたのは「家」の絵。自分には住む家がない、または、いつか家族一緒に暮らしたいといった願いが込められていました。


昼食を一緒に食べました。今日は交流のために近くのファーストフード店に行きましたが、もちろん普段彼らはこのような場所には行くことができません。帰りがけに、「もう一つくれないか」と訴えかけてくる子どももいました。


次に訪れたのはアグハムという地域の家庭です。ここは国の土地で、そこに家族で廃材を集めて家を作っています。今日訪問したご家庭の周りには同じような家が3〜4000棟あるそうです。このご家庭は12人家族で、当たり前ですが生活はとても苦しく、現在唯一大学に通っている娘さんが将来的には家を支えていくのだそうです。ちなみに、家の外には廃水が流れており、ここのにおいもかなりきついものがありました。



最後に訪れたのはパン作りで職業九訓練をしている施設です。路上で生活をする子どもたちを集めて、パンの作り方を教えています。免許が必要なので、実際に販売することはできませんが、将来少しでも路上意外の場所で暮らせるようにと、考えて作られたプログラムです。


パン作りの後にワークショップをしました。互いに質疑応答をしたのですが、彼らの夢のいくつかは「学校を卒業すること」だそうです。私たちが夢を聞かれて答える内容と、大きく異なっていますね。
また、彼らからの質問で「君たちはこうしてマニラに来ているけれど、僕たちはなぜ日本にいけないの?」というものがありました。冗談で言った質問ですが、全員答えることはできませんでした。

こちらに来てから、一番多い質問が「なぜマニラに来たのか。」というものです。毎日聞かれている質問ですが、答えるのに困ってしまいます。この研修のどこかで、答えを見つけ出せると良いですね。

今日の振り返り:
Motoyasu:路上で暮らす子どもたちとの交流は、思っていたよりも彼らが明るく、元気だった。パン作りのときに「今の生活が楽しい」と言っていた言葉が印象的だった。
Masanari:ブルメントリットは、においがきつかったのと、最初は少し怖かった。パン作りのときに「Nice!」と言ってくれるので、嬉しかった。
Eito:ブルメントリットに着いたときは怖かった。Street Childrenを扱うテレビでは同情を誘うものが多いが、実際は懸命に生きている。家族のためにお金を稼ぎたいと言っている子どもがいて印象的だった。
Ken.K:「家が欲しい。」「家族が幸せに暮らせれば良い。」という発言が印象的。寂しさや空腹のためにシンナーを吸うというのが衝撃的だった。ブルメントリットの市場は、観光客が訪れるところではないと感じた。
Ken.Y:昼の交流で一緒にご飯を食べたことが楽しかった。また、パン作りも楽しく、ダンスをしたときにみんながほめてくれて嬉しかった。でも何で日本人では僕しかダンスをしないのだろう?

「なぜ見に来るのか」という問題[ICANの清水さんの話]
路上で生活する子どもたちに、今日は日本から子どもたちがパン作りを見に来るからと伝えたときに、「なぜ?」と問われて返答に困りました。子どもたちからすると「自分たちは見せ物ではない」という意識があるからだと思います。 "Street Children"という言葉は実際には路上で生活をしていない人たちが、彼らを見て呼んでいる呼び名であって、彼らは好きで路上生活をしている訳でもないし、ただの生活をしているに過ぎないのです。
また、イメージだけではなく、実際に会ってみてわかることがたくさんあったかと思います。私としては、普段元気なフィリピンの子どもたちと接しているので、おとなしい日本の子どもの様子にカルチャーショックを受けました。

2011年7月6日水曜日

7月5日[研修3日目]

今日は私立La Salle Green Hills High Schoolを訪問しました。ここは国内で最も設備のそろっている高校です。昨日との違いを感じることができれば良いですね。

朝の朝礼です。毎日朝礼があり、廊下から広場の国旗掲揚塔に注目します。今朝の朝礼では私たちの紹介をしてくれました。ちなみに国歌を歌うときは写真のように手を胸に当てます。

施設見学の様子です。昨日とは違い、全室エアコンがありました。全校生徒1400人ほどですが、広い校舎です。コンピュータ、製図、美術など様々な特別教室がありました。

授業体験です。1クラスは45名ほど。この中に生徒がいます。誰でしょう?どこでしょう?


フィリピンではミリエンダと呼ばれる軽食の時間があります。場所は食堂ですが、フードコートのように様々な種類の食べ物を購入することができます。今日はおすすめを生徒に聞いたりして食べました。

生徒会との交流です。グループを作って自己紹介をして、他のグループに、自分のグループの仲間を英語で紹介するというものです。名前、好きな物などを必死で聞き出して覚えていました。

集合写真です。気づくでしょうか。昨日よりも生徒の背が高いのです。ミリエンダがあり、昼食があり、安定した生活がある彼らと、そうではない公立高校の子どもたちで顕著に差が出ているのですね。

訪問終了後はご飯を食べにモールに行きました。今日のプログラムは朝の5時45分集合というなかなかハードなものでした。しっかり休みましょう。


生徒の感想:昨日の公立高校との違いについて
Ken.Y:今日やったバスケでは周りの仲間がたくさんパスをくれて5回もシュートを決めることができ楽しかった。校長先生は共に女性の先生だった。

Masanari:昨日の授業よりも、より普通の生徒として扱われている気がした。授業中にも質問されとまどった。ミリエンダや学食などの設備はうらやましい。

Ken.K:敷地が広く、木工や車の改造など様々な授業があった。生徒会との交流では、自分にもっと英語力があったらたくさん聞き取れて、話せてより楽しかっただろう。

Eito:いろいろな授業の種類があり、後の職業選択の幅も広がるのでは。授業への積極性は公立の方があった気がする。

Motoyasu:ミリエンダで、「何を食べたいか。」と質問されたことはわかったが、「おすすめは何?」と聞き返せなくて困った。国歌など、愛国心を持っているとわかる。自分たちは体育祭などで国歌を歌うときもダラダラしている。

ラサール高校では、より専門的なことを学ぶことができます。生徒の積極性に関しては、公立よりも規律が整っているということもできるかもしれません。
最後に、「ラサール高校の学費はいくらでしょう。」とクイズをやりました。公立でかかるお金は360ペソ前後、これと比べると。


正解は、年間12万ペソ。これだけの格差があるということ、そして、それを知っているということが大切です。

2011年7月4日月曜日

7月4日[研修2日目]

今日はケソン市パヤタス地区にある、Justice Cecilia Munoz Palma High Schoolを訪問しました。公立の学校です。フィリピンでは、現在子供が非常に多く、学校も先生も不足しています。今回の学校も、全校生徒6874人おり、一度に全員が登校できないため、午前の生徒と午後の生徒にわかれています。教室も私たちのものよりも狭く、そこに80人くらいの生徒が座って勉強しています。

歓迎会の様子です。フィリピンの人々は歌とダンスが好きと聞いていましたが、まさかこれほどとは。歓迎会とお別れ会あわせて10曲ほどありました。これは民族舞踊の一つで、ココナッツの実を体に付けて、カスタネットのように音を奏でて踊るものです。

これは竹の棒の間を動くダンス。生徒もトライしました。リズムに合わせて動かないと足が挟まります。盛り上がりました。

いきなり出し物を求められるのもフィリピン。ということで急遽お返しに歌を歌うことに。
『幸せなら手をたたこう』をやりましたが、後半はフィリピノ語で合唱が入り、手や足を大きく鳴らしました。

この学校は「パヤタス」にあります。パヤタスはゴミ処分場がある地域で、治安もあまりよくありません。学校の外に目を向けると、このような家に住んでいる人が大勢います。風向きによって、授業を受けていてもゴミのにおいがしてきました。ちなみに公立の学費は諸経費を含めて年間500ペソほど。日本円だと1,000円ちょっとです。それでも学校に通うことのできない子供も多くいるのだそうです。


昼食はみんなで。ちなみに、この写真の二人は同い年です。マニラコースのメンバーは割と背が高い生徒が多いですが、この公立高校の生徒たちは小さい子供が多いです。校長先生曰く、やはり栄養が十分ではないのだそう。
食事はおいしくいただきました。

食後はさらに授業に参加。化学の授業を英語で受けるというタフなものですが、周りの生徒がサポートしてくれました。

お別れ会にて。途中落雷で停電するなどありましたが、楽しい時間を過ごさせていただきました。落雷はよくあるのだそうです。
金銭的にはかなり貧しく、学習環境も決して良好ではない子どもたちですが、とても良い笑顔と、素直さを持っています。今日の経験が、私たちの実生活にも生かされなくてはいけませんね。

今日の感想:Masanari

今日はパヤタスにある高校に行きました。学校につくと歓迎会をしてくれました。歓迎会では民族舞踊や歌などを披露してくれました。最初の自己紹介のときに少しだけフィリピノ語を話しただけで、すごい反響がかえってきたのでびっくりしました。
そしてその後少し授業を受け、そこの生徒と一緒にお昼ご飯を食べました。生徒としゃべっていたら日本のアニメが大人気だということを知りました。NARUTOやドラえもん、果ては、灼眼のシャナなどを知っていてびっくりしました。
でも、すごい質問攻めだったのでとても疲れました。

印象に残った一言:Masarap(マサラップ)日本語で「おいしい」の意味。